【マルクスの自省録】本の内容がわかる3つの名言【古典を読む】
「マルクスの『自省録』に興味があるけど、読む前にどんな内容か知りたい」
「古典から賢く生きるための名言を知りたい」
こんな悩みを持つ方に、この記事では自省録の内容がわかる3つのポイントを、名言の引用とともに説明します。
この記事で書いていること
- 自省録とは?
- Point① 自分の自由にできることを区別する
- Point② 「他人のため」を目的にする
- Point③ 変化や終わりを恐れないための言葉
自省録は、わたしが繰り返し読んでいる本のひとつです。
おすすめの古典です。
マルクスの「自省録」とは?
自省録は、マルクス・アウレリウスという16代ローマ皇帝によって書かれました。他人に読ませるために書かれたものではなく、彼の思索や内省の言葉をメモするための日記が本になったものです。
アウレリウスは「哲人皇帝」と呼ばれるほど学識に長け、哲学を好んだ人です。彼の示唆にとむ言葉がまとめられた本書は、いろいろな思想家、政治家たちの座右の書にもなっています。
自然に従って生きよ
本書の根っこにある著者のアイデアのひとつは、「自然に従って生きよ」です。この言葉は繰り返し出てきます。これは、アウレリウスが傾倒したストア哲学の考えのひとつです。
自然に従って生きるとは?
- 月や太陽のように秩序を持つこと
- 木の実がなるように見返りなく与えること
- 枯れ葉が落ちるように終わりを受け入れること
わたしたちも自然の一部です。自然に従うというアイデアは知恵やパワーを与えてくれます。
それではここから、「自省録」の中の3つのポイントを名言と一緒にご紹介します。
① 自省録の「自由になるものを区別する」教え
自省録が教えてくれる知恵のひとつ目が、「自分が自由にできるものとできないものを区別する」ということです。
悪人は罪を犯すものだという事実を承認しないのは狂気の沙汰だということである。なぜならばそれは不可能を望むことなのである。
他人の行動に腹を立てたり、特定の行動をするように願うことは、あなたの生活を困難にします。なぜなら、彼らの行動はわたしの自由になることではないからです。
世の中には悪人がいると思います。彼らは悪いことをするゆえに悪人であり、それはもう、そういうものなのです。
自分の心はいつでも自由になる
本の読者「しかしそれでは、世界は自分の自由にならないことばかりではないか!」
と思いたくなるかもしれません。
しかし、いつでも自分の自由になることはあります。それは、自分の心の部分です。なぜなら、心がいつでも物事との向き合い方を決めるからです。
ある人はこう祈る。「あの女と一緒に寝ることができますように」と。ところが君はこう祈るのだ、「あの女と一緒に寝る欲望を持たないことができますように」と。
他の者は祈る。「あの人間を厄介払いできますように」と。ところが君は「厄介払いする必要を感じないことができますように」と祈るのだ。
もう一人の人間は祈る。「どうか私の子供を失うことのないように」と。ところが君は「失うことを恐れずにいることができますように」と祈るのだ。
何かが起こるようにしてくれと願うのではなく、自分がそれらを恐れず、欲せず、悲しまぬようにしてくれと考える習慣は、役に立つかもしれません。
②自省録の「他人のために生きること」の教え
自省録の教えてくれる2つ目の知恵は「他人のために生きるべき」です。
つねに同一の人生目的を持たぬものは、一生を通じて一人の同じ人間でありえない。しからばその目的はなんであるべきか(中略)
我々もまた同様に公共的市民的福祉を目的とせねばならない。自己のあらゆる衝動をこれに向けるものは、彼の行動全体を首尾一貫したものとなし、それによって常に同じ人間として存在するであろう。
公共的市民福祉、すなわち「みんなや社会に貢献する」ことを目的として生きようということです。
一貫した人生の指針になる
本の読者「なんだ綺麗ごとか。自分は聖人として生きるつもりはないんだ。」
と思うかもしれません。
しかし、利他的に生きることは、わたしたち自身の人生にもメリットがあります。
それは、一貫した人生の指針となることです。なぜなら、時代や状況によらず良いとされる唯一のものが「他者に貢献すること」だからです。
大衆が何らかの意味で善しと見なすものについての世論は必ずしも一致せず、その中にあるもの、すなわち公益に関するものについてのみ一致するようである。
あっという間に変わる世の価値観
- マイカーやマイホームを持つべき
- 会社で昇進するべき
- 結婚して子供を持つべき
特に今の時代、いろいろな価値観が消えては新しいものに変わっていきます。
一方で、「人のお役に立つこと」はどんな時代もたいてい大事であり、自分を見失わずパワフルに人生を歩む助けになるかもしれません。
ブドウの木のようにお役に立つ
また自省録では、他人に貢献するときは見返りを求めないことが大切だとも書かれています。なぜなら、それが自然に従ったあり方だからです。
素敵な比喩を使った一節を、ここに載せておきます。
彼(賢い人)は葡萄の房をつけた葡萄の樹に似ている。葡萄の樹はひとたび自分の実を結んでしまえば、それ以上なんら求むるところはない。(中略)
人間も誰かによくしてやったら、(それから利益を得ようとせず)別の行動に移るのである。あたかも葡萄の樹が時が来れば新たに房をつけるように。
③ 自省録の「恐れず勇気を持つ」ための教え
最後にご紹介するのは、変化や終わりを恐れず勇気を持つことができる言葉です。
ここで生きているとすれば、もうよく慣れていることだ。またよそへ行くとすれば、それは君のお望み通りだ。また死ぬとすれば、君の使命を終えたわけだ。以上のほかになにものもない。だから勇気を出せ。
「自然に従うべき」という自省録の考えに沿うなら、人生に起こるほとんどのことは恐れるべきものではありません。
なぜなら、自然がなんども四季を繰り返してきたように、あらゆることはすでにどこかで起こったありふれたことだからです。
新しいことは、よっぽどのことがないと起きません。(それはあなたが強く意志したときであり、その場合はあなたの望んだことなので問題ないですね。)
一般にあらゆる出来事に対して「これはしばしば見たことのあるものだ」という考えを念頭に用意しておくがよい。結局上を見ても下を見ても至るところ同じものが見出されるであろう。
このような考えを実践すれば、ものごとに落ち着いて対処できるかもしれません。
終わりも自然の一部
また同様に、ものごとが終わりを迎えることも悪いことではありません。なぜなら、死は自然の摂理であり、そういうものだからです。
自然はものの発端や経過のみならずその終末をも自己の目標の中に入れた。たとえて言えばこれはボール投げをする人の場合と趣を同じにする。ところで、ボールの身になってみれば、投げ上げられるときになんの善いことがあり、落下するとき、あるいは地に落ちたときになんの悪いことがあろうか。
このように、自然のような広大な視点から一歩下がって眺めるような習慣があれば、何かと勇気が持てるかもしれません。
まとめ
この記事では、マルクス・アウレリウスの『自省録』の中で、内容がわかる3つのポイントをご紹介しました。
- 自分の自由になることを区別する
- 「他人のため」を目的にする
- 変化や終わりを恐れない言葉
本質的な知恵や、生きるパワーをくれる本なので、ご興味のある方はぜひ手にとって見てはいかがでしょうか。
この記事が、皆さんのお役に立てれば幸いです。