【人生の短さについて】短い人生を無駄にしないための名言【古典を読む】

読書

「『人生の短さについて』という本の題名を聞いて、どんな内容か気になっている」
「短い人生を無駄にしないために、何に気をつけるべきか知りたい」

このような方へ、セネカの『人生の短さについて(他2篇)』の大事な要点を3つご紹介します。

 この記事で書いていること

  1. 短い人生を無駄にしないために「貪欲」をなくす
  2. 短い人生を無駄にしないために「無用な不安や絶望」をなくす
  3. 人生の時間を「閑暇な生活」に使うべき

わたし自身、この本をたびたび読み返して、時間の使い方を考えさせられます。

セネカの「人生の短さについて」

セネカの「人生の短さについて」

こちらの本は、セネカによって2000年以上前(紀元前1年ごろ)のローマ時代に書かれた作品です。

著者セネカについて

この本を書いたセネカはこんな人でした。

  • 2000年以上前のローマ帝国の政治家、かつ哲学者。
  • ローマ皇帝ネロの教育係を務めるほど優秀。

また優秀さゆえ皇帝に引き止められつつも、晩年には政治を退いて哲学や執筆に力を入れるほど知を愛する人だったようです。

「人生の短さについて」

この作品は、題名のとおり「時間を浪費するな、大切に生きよ。」というセネカのメッセージが友人への手紙形式で書かれています。

たとえば、セネカの言う時間の浪費は以下のようなものです。

  • 快楽や終わりのない欲望の追及
  • 無用な不安や絶望
  • 無益な仕事

この本を読むことで「大事な時間を何に使うべきか」というセネカの考えを知ることができます。

注意点

この記事では、光文社出版の『人生の短さについて 他2篇』をご紹介します。
他2篇に収録されているのは、セネカの『母ヘルウィアへのなぐさめ』『心の安定について』という作品で、こちらからも一緒に内容をご紹介します。
同じく「時間を大切に使う」ためのセネカのアイデアが書かれているので、お役に立てれば幸いです。

① 短い人生から「貪欲」をなくす

Point 1

まず、セネカの説く時間を浪費するべきでないものを2つご紹介します。
1つ目が、「貪欲」です。

おまえたちの体がどんなにちっぽけなものか、考えてみようとは思わないのか。わずかなものしか受け入れられないのに、たくさんのものを欲することは、狂気であり、精神が陥る最悪の過ちではないか。財産をどれだけ増やそうが、地所をどれだけ広げようが、お前たちの体は大きくはならないだろう。商売がうまくいっても、戦争でひともうけしても、狩によってあらゆる場所から食べ物をかき集めても、おまえたちの体には、その蓄えをしまっておく場所がないだろう。どうして、そんなにたくさんのものを追い求めるのか。

セネカの言うように、「自分の体にそれがおさまるか」で自分に必要なものの量をはかるのがいいかもしれません。

なぜなら、ひとは他人への見栄や漠然とした不安で、多くのものを手に入れようとするからです。そしてそれには、多くの時間が費やされます。

他人からの承認も蓄えられないもの

また、これはモノだけではなく「他人からの承認」にも当てはまりそうです。
たとえば、私はよく無意識に「不特定多数の人から好かれたい、称賛されたい」と思ってしまっています。そして嫌われていないかクヨクヨしています。

しかし、深い友人として関われる人は限られています。そして、自分と関わりのない人からの称賛があっても、けっきょくそれを自分に蓄えることはできません。それを考えても時間がもったいないのです。
親しい友人の前で自分が真に尊敬される態度をとっているか、を大切にしたいと思います。

② 短い人生から「無用な不安や絶望」をなくす

Point 2

2つ目に私たちが人生を浪費しやすいのが、将来の不幸を心配する、または起こった不幸に絶望する時間です。なにかに思い悩むことも、多くの時間を奪っていきます。
不幸は避けられないものですが、「運命に頼らず生きるべき」とセネカは言います。

わたしは、運命を信用したことなど、一度もありません。運命が平穏をもたらしてくれたと思われたときですら、そうなのです。運命は、慈悲深くも、わたしに財産と地位と名声をあたえてくれました。しかし、そうしたものはすべて、運命が取り返していっても、心が乱されることのないところに置いてあります。すなわち、わたしはそれらを、自分から遠く隔てられたところに置いているのです。ですから、運命はそれらを持ち去って行きますが、わたしから強奪してくわけではないのです。幸運に欺かれることのない人間なら、不運に押しつぶされることもありません。

この文章からも分かるとおり、運命に頼らずに生きるコツは、自分の持っているすべてを当たり前だと思わずに、感謝することです。
なぜなら、何もない状態がデフォルトだと考えるならば、何かを失っても平然としていられるからです。

自分の体すらも

もちろん、自分の周りにあるものを当たり前だと思わないことは至難のわざです。しかし、いわゆる「賢者」と呼ばれる人たちはこれを徹底しているようです。

賢者は、財産や所有物や社会的地位ばかりではなく、自分の体や目や手のような、生きるために大切な意味を持つものでさえ —— いな、自己そのものすら —— あてにはできないとみなしているからだ。賢者は、それらが自分に貸し与えられたものであるかのように生きている。だから、返却を求められれば、文句も言わずに返すことであろう。

ここまで到達するのは時間がかかりそうですが、衣食住、仕事での成功、恋人や家族などが、与えられたものであることを認識することは役に立つかもしれません。

③ 短い人生を「閑暇な生活」に使うべき

Point 3

最後に、人生の浪費を取りのぞいたあと、「けっきょく何に時間を使うべきなのか」ということについて、セネカの考えをご紹介します。

何よりも優れたやり方は、実務的な生活の中に閑暇を混ぜこむことだ。

「実務的な生活」と「閑暇」。これらは一体何を表すのでしょうか?

セネカの実務的な生活

実務的な生活というのは、私たちが日常的に行う仕事のことです。しかし前提として、セネカは次に示すような仕事からは「距離をとるべき」だと話します。

  • 多忙な仕事
  • 終わりがなく自由に退くことができない仕事
  • 競争心や野心がうずまくような仕事(職場)
  • 出世などの欲望をかき立て、苛立ちのつのる仕事

なぜなら、多忙な仕事は人生の時間を簡単に奪いとってしまうからです。そして、競争や野心のすえに手に入れたものは、それを失う不安とセットであり、次の野心を駆りたてるからだ、と言います。

静かな仕事につく

そのような競争や多忙から離れた静かな、かつ人の役に立てる仕事が、セネカの推奨する仕事です。それは、たとえばバリバリ働くエリート企業のような仕事ではありません。しかし、そうでない仕事の方がむしろよい仕事だと、セネカは言います。

これらの(静かな生活の中で、公共の仕事に従事する)人たちは、語ってくれるのだ。——正義とは何なのかを。敬虔とは何なのかを。自制心とは何なのかを。勇気とは何なのかを。

セネカの語る「閑暇」の大切さ

そして、2つ目の要素である「閑暇」を混ぜ込むことが大事だと言います。

すべての人間の中で、閑暇な人と言えるのは、英知を手にするために時間を使う人だけだ。そのような人だけが、生きているといえる。というのも、そのような人は、自分の人生を上手に管理できるだけでなく、自分の時代に、すべての時代を付け加えることができるからだ。彼が生まれる以前に過ぎ去っていったあらゆる年月が、彼の年月に付け加えられるのである。

セネカ曰く、閑暇を過ごすとはつまり何かを学ぶことのようです。
なぜなら、そうすることで過去の人々の知恵や経験を、自分の人生に付け足し、それによって人生を長くすることができるからです。

学問は人生という航海の安全な港

さらには、何かを学ぶという行為は、人生という航海のなかで心の平穏を守る港のような役割を持つと、セネカは言います。

学問は、あなたになぐさめを与えてくれることでしょう。学問は、あなたに喜びを与えてくれることでしょう。もし、学問があなたの心に本当にしみ込んだなら、悲しみは、二度と入り込みはしないでしょう。心配は、二度と入り込みはしないでしょう。根拠のない悩みがもたらす空しい苦しみは、二度と入り込みはしないでしょう。(中略)学問は、あなたの最も確かな守り手です。そして、学問だけが、あなたを運命の手から救い出せるのです。

知を愛するセネカの考えが濃く現れている部分かもしれませんが、意識的になにかを学ぶ時間を持つことが、人生をいいものにするかもしれません。

まとめ

この記事では、セネカの『人生の短さについて(他2篇)』について、以下のポイントをご紹介しました。

  • 短い人生から「貪欲」という浪費をなくす
  • 短い人生から「無用な不安や絶望」という浪費をなくす
  • 人生の時間を「閑暇な生活」に使う

ここに書いてあることは個人的な解釈なので、興味をもたれた方はじっさいに読まれることをお勧めします。ぜひこの内容と比較してみてください。

この記事がみなさんのお役にたてば幸いです。