【愛するということ】愛を考えるヒントになるフロムの名言4選【古典を読む】
「フロムの『愛するということ』に興味があるが、読む前に内容を知りたい。」
「愛とは何かについて考えるヒントを、名著の中の名言から見つけたい。」
このような悩みを持つ方へ、エーリヒ・フロムの名著「愛するということ」から、愛を考えるヒントになる4つの名言をご紹介します。
この記事で書いていること
- 愛とは「与える」ことである
- 愛には「意志」が必要である
- 愛に共通する「4つの要素」
- 愛には「勇気」が必要である
私自身、この本を読んだことで周りの人との向き合い方が大きく変わったと思います。
フロムの「愛するということ」とは
いつの時代も私たちにとって大切なテーマである「愛」について書かれた本のなかで、最も有名なのがエーリッヒ・フロムの「愛するということ」だと思います。
この本には、パートナーとの愛だけでなく友愛、親子愛など、いろいろな愛に共通する内容が書かれています。そして、次のようなことを考えるヒントをくれるはずです。
- そもそも愛するとは何か?
- 人を愛するための方法は?
- 愛するために必要なことは?
フロムのアイデアの特徴
「愛するということ」の著者であるエーリッヒ・フロムはドイツの社会心理学者であり哲学者です。先に、彼の愛に対するスタンスをひとことで述べると、「愛するためには技術が必要」だと思います。
生きることが技術であるのと同じく、愛は技術であると知ることである。どうすれば人を愛せるようになるかを学びたければ、他の技術、たとえば音楽、絵画、大工仕事、医学、工学などの技術を学ぶときと同じ道をたどらなくてはならない。
つまり、人をうまく愛せるようになるためには、「愛するとはどんなことか」を学び、練習しなければいけない、と彼は言います。それは、生まれつき上手に愛することができる人はおらず、同時に愛は誰にでも習得しうるもの、ということでもあります。
まずはこの記事が「愛するとは何か」を考えるヒントになれば幸いです。ここから、4つのポイントに沿ってフロムの名言をご紹介していきます!
①愛するということは「与える」こと
まずは1つ目。愛することの本質を表したフロムの言葉をご紹介します。
愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。(中略)愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも与えることであり、もらうことではない、と言うことができよう。
ときに私たちは家族、友人、パートナーから何かを受けとることを期待しがちですが、フロムによれば、それだけでは相手を「愛している」とは言えないようです。なぜなら、愛することは能動的なものであり、他人に与えることだからです。
自分がだれかを愛せているか確かめたいときは、「自分が与えようとしているか」に注目してみてください。
愛することは自己犠牲?
「人に与える」と聞くと、自分のものが減ってしまう印象を受けるかもしれません。しかし、「愛は自己犠牲で、だからこそ美しい」という意見には、フロムは反対しています。
なぜなら、愛する能力を持った人にとって、与えることは自分の力の表現であり、本来はよろこびを感じる行為だからです。
彼ら(愛する能力を持つ人)にとって、与えることは、自分の持てる力のもっとも高度な表現である。与えるというまさにその行為を通じて、私は自分のもてる力と豊かさを実感する。この生命力と能力の高まりに、私はよろこびを覚える。
ピアニストが演奏で自分の力を表現するように、愛する人は与えることで自分の力を表現し、 それは彼らにとってよろこびになります。
愛する人に何を与えるのか?
ちなみに、ここで「与える」ものとは、決してお金やモノなどの物質的な価値だけではありません。愛するためにもっとも与えるべきものは、次のようなものになります。
ここでは人は他人に、物質ではなく何を与えるのか。(中略)それは、自分の中に息づいているものを与えるということである。自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分の中に息づいているものすべてを与えるのだ。
フロムはこれらを「生命力を与える」という言葉で表現しています。本当に大事なことは、自分の興味を相手に向けること、相手を知ろうとすること、自分の感情を共有すること、相手を楽しませようとすることです。
②愛するということは「意志」の行為
続いて2つ目。愛の本質がわかるもう1つの言葉をご紹介します。
愛は本質的には、意志にもとづいた行為であるべきだ。すなわち、自分の全人生を相手の人生に賭けようという決断の行為であるべきだ。(中略)誰かを愛するというのは、たんなる激しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、約束である。
愛と聞くと、いわゆる「運命」のように決められたものであったり、「ビビッとくる」ような感情的なものであったりする印象を受けます。しかし、そのようなものは愛ではなく、愛とは自分で決意する行為だとフロムは言います。なぜなら、先にも書いたように愛は能動的で自分から選びとる行為だからです。
意志だからこそ信じることができる
この性質は、愛についての厳しい側面かもしれません。なぜなら、自分で決断し、その約束を守り通す覚悟があって、初めて相手を愛していると言えるからです。
しかし、だからこそ愛は信じられるものになる、とフロムは言います。なぜなら、感情は時間がたてば変わってしまうものですが、意志は貫き通すことができるものだからです。
もし愛がたんなる感情にすぎないとしたら、「あなたを永遠に愛します」という約束にはなんの根拠もないことになる。感情は突然生まれ、また消えていく。もし自分の行為が決意と決断にもとづいていなかったら、私の愛は永遠だ、などとどうして言い切れるだろうか。
よく言われる「恋と愛の違いは?」という質問にフロムが答えるなら、「恋は”感情”で、愛は”意志”だ!」となるかもしれません。
③愛するということに共通する4要素
3つ目は、愛に必要なものが少し具体的にわかる内容をご紹介します。
どんな形の愛にも、かならず共通する基本的要素がいくつか見られるが、ここにも、愛の能動的な性質があらわれている。その要素とは、①配慮、②責任、③尊重、④知である。
フロムは、愛に必要なものとして4つのものがあると考えています。配慮、責任、尊重、知です。文中の言葉で簡単に説明すると、このようになると思います。
- 配慮:相手の生命と成長を積極的に気にかけること。
- 責任:相手の要求に応じられる、または応じる用意があること。
- 尊重:私のためにではなく相手自身のために、相手なりのやり方で成長していってほしいと願うこと。
- 知:相手の立場に立ってその人を見て、相手について知ること。
配慮や責任というのはたとえば、親が子の面倒を見ること、大人同士であれば友人や恋人の精神的な求めに応じることを指します。これらを放棄していては、そもそもそこに愛があるようには見えません。
また、尊重や知がなければ、相手への行為も独りよがりの自己満足になってしまいます。ときには、相手の支配や所有という最悪の形にもなってしまいます。
人として成熟しなければいけない
これら4つはとても大切ですが、実際はむずかしく、誰にでもできることではないとフロムも文中で述べています。
配慮、責任、尊重、知は互いに依存しあっている。この一連の態度は、成熟した人間にのみ見られるものだ。
まずは、この4つをクリアできているか参考にしてみてください。
④愛するということは「勇気」が要る
最後に、愛するために必要なものがわかる言葉をもうひとつご紹介します。
愛されるには、そして愛するには、勇気が必要だ。ある価値を、これがいちばん大事なものだと判断し、思い切ってジャンプし、その価値に全てを賭ける勇気である。(中略)人を愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に全身を委ねることである。
フロムは、愛するために必要なもののひとつは勇気だと言います。あえて危険をおかし、苦痛や失望を受け入れる覚悟です。
なぜなら、先に書いたとおり愛は自ら与えることであり、先に行動を起こすことだからです。それが相手に届かないことがあっても、人に愛を持って接しようと挑戦しなければいけません。
必要なのは人を信じる勇気
またここで必要なのは、いわゆる「嫌われる勇気」のようなものとは少し違います。愛に必要な勇気とは「相手を信じる勇気」だと、フロムは主張します。
人間関係においても、信念は、どんな友情や愛にも欠かせない特質である。他人を「信じる」ことは、その人の基本的な態度や人格の核心部分や愛が、信頼に値し、変化しないものだと確信することである。
すなわち、相手がどんな人であっても、自分が愛を持って接すれば、相手の心にも愛が生まれ、応えてくれると信じる勇気です。フロム曰く、あなたが人を愛せる量は、あなたの信念の量です。
まとめ
この記事では、エーリッヒ・フロムの「愛するということ」から、愛を考えるための4つの名言をご紹介しました。
- 愛とは「与える」ことである
- 愛には「意志」が必要である
- 愛の共通する「4つの要素」
- 愛には「勇気」が必要である
最後に、愛の大切さをあらわしたフロムの言葉を引用します。
私が証明しようとしたのは、愛こそが、いかに生きるべきかという問いにたいする唯一の健全で満足のいく答えだということである。
この記事が皆さんのお役に立てれば幸いです。