【アランの幸福論】不安や心配ごとに対処するコツがわかる名言【古典を読む】
「将来の心配ごとや不安を感じたときに、落ち着くための言葉を知りたい」
「少しだけ、毎日の中で幸福を感じやすくなるコツや考え方を知りたい」
「アランの幸福論に興味があるが、読む前に内容を知っておきたい」
このような悩みを持つ方に、三大幸福論のひとつ、アランの「幸福論」を読んで大事だと思った要点を4つご紹介します。
この記事で書いていること
- アランの「幸福のための心構え」
- 幸福になりたければ礼儀が大事
- アラン流、未来の不安への対処法
- 幸福になることは「義務」である
私自身、この本を読んだのは2年ほど前ですが、しんどい時にたびたび読み返しています。気分が楽になります。
アランの幸福論とは?
幸福について書かれた「幸福論」というタイトルの本は無数にありますが、そのなかでも「三大幸福論」と呼ばれる選りすぐりの3冊があります。ヒルティ、ラッセル、アランという哲学者によって書かれたものです。
プロポで構成されるアランの幸福論
この記事では、そのうちの1冊「アランの幸福論」についてご紹介します。
彼の幸福論は、プロポと呼ばれる短い文章の集まりで構成されています。今でいう新聞のコラム的に執筆されたものです。全部で93編あります。ひとつひとつが短いので、気楽に読めておすすめです。
また、別々の文章の集まりですが、その中には一貫したアランの幸福に対するアイデアがあります。個人的に覚えておきたい要点をまとめてみたので、お役に立てれば幸いです。
アランのアイデアの特徴
先に、アランの幸福に対するスタンスをひとことで述べておくと、「幸福になろうとしなければ幸福にはなれない」です。
悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである。気分にまかせて生きている人はみんな、悲しみにとらわれる。
文中にはこんな言葉もあります。若干厳しい印象もありますが、もちろんそれだけではないのでご心配なく..!
ここから、4つのポイントに沿ってアランの名言をご紹介していきます。
① アランの説く「幸せのための心構え」
まずは1つ目。アランのスタンスが伝わってくるポイントです。
「うまく行ったから嬉しいのではなく、自分が嬉しいからうまく行ったのだ」といつも考えねばならない。どうしても喜びが欲しいというならば、まずは喜びを蓄えておきたまえ。いただく前に感謝したまえ。なぜなら、希望から求める理由が生まれ、吉兆から事が成就するのだから。だから、すべてのことがいい予感であり、吉兆である。
本当に幸福になりたいなら、何かが上手くいった / いかなかったというコトに関わらず、幸福な気持ちを保つべき。
これが、アランの主張だと思います。
なぜなら、気分がモノゴトの結果に依存していたら、とうぜん幸福を保つことはできないからです。そして多くの場合、幸福な気持ちこそがモチベーションや上手くいく結果をもたらすからです。
苦痛にどう対応するのか
例えば、冷たい風が吹けば”うんざり”してしまう、というのが多くの人の反応だと思います。しかしアランは、「寒いな。これは健康には一番だ!」という明るい態度こそ最も素晴らしいと言います。
なぜなら、それにより喜びを勝ち取り、そして喜ぶことで体が温まるからです。体が温まるから喜ぶのではなく。
落ち込みそうになったときに
ポジティブ芸人かよ!と思ってしまうようなことですが、このような姿勢が実際に大事だと、約100年前の哲学者さんも言っています。そしてこれは、自ら少し意志するだけでも変わります。
もし落ち込みそうになったとき、何でもいいので「今起こったことは吉兆だ。これはいいコトがが起こる知らせだ。」と捉えてみてください。そこから幸福が始まるかもしれません。
② アランの説く「礼儀」と幸福のつながり
続いて2つ目。少し実用的なポイントです。
礼儀作法の習慣はわれわれの考えにかなり強い影響力を及ぼしている。優しさや親切や喜びの仕草を演じるならば、憂鬱な気分も痛みもかなりのところ直ってしまうものだ。こういうお辞儀をしたりほほ笑んだりする仕草は、まったく反対の動き、つまり激怒、不信、憂鬱を不可能にしてしまうという利点がある。だから社交生活や訪問や儀式やお祝いがいつも好まれるのである。それは幸福を演じてみるチャンスなのだ。
「幸福になりたければ礼儀正しくあれ」、というのは複数のプロポにたびたび登場するアランの一貫したアイデアです。
なぜなら、実際に心と体は深く関係しているからです。すなわち、自分の”振る舞い”や”行動”は、自分の気分に驚くほど大きく影響しているとアランは言います。
そして同時に、行動は心よりもずっとコントロールしやすいからです。
われわれの中で、運動を伝える筋肉だけがわれわれの自由になる唯一の部分であるから。ほほ笑むことや肩をすくめることは、思いわずらっていることを遠ざける常套手段である。こんな実に簡単な運動によってたちまち内臓の血液循環が変わることを知るがよい。
「幸福な人」と聞いて、多くの人がイメージするのは、たとえば「誰にたいしても笑顔で、言葉使いが丁寧で、穏やかな人」といった印象だと思います。
しかし実際は、幸福だからそう振る舞えるのではなく、その行動が彼らを幸福な気持ちにしていることが多いのです。
悲しみはただの病気
反対に不幸については、ただの体の不調と同じことだ、というアランの考えも面白いです。
悲しみなんて、病気にすぎない。だから、病気を我慢するように我慢したらいいのだ。そんなに、なぜ病気になったのかとか、あれこれ考えないで。
気分がすぐれないことは、足の裏に魚の目のように忘れ、いつもより少し丁寧に振る舞ってみるのもいいかもしれません。
③ アラン流「未来の不安への対処法」
そうは言っても、いつも楽観的ではいられません。何か心配ごとでいっぱいになってしまったら、3つ目のポイントが役立つかもしれません。
誠にありがたいことに、(不幸な)ことがらの勢いが我々をつかまえたなら、われわれに考えている暇などくれないのだ。瞬間と次の瞬間とを結び付けている鎖は切断されている。だから最大の苦しみも微弱なちりにすぎない。恐怖感は催眠作用をもっている。
歯の痛みでもわかるように、われわれが苦悩と考えるのは、それを予感し、待ち受け、現在の前後に若干の時間が延びているものだ。現在だけの苦しみなんて無にひとしい。我々は痛みを苦しむことよりも痛みを恐れる気持ちの方が強い。
つまり、私たちの不幸のほとんどは、実際のものではなく想像上のものだということです。
なぜなら、よく言われるように心配ごとの9割は実際に起きません。そして仮に起きたとしたら、それはあっという間に過ぎてしまうからです。不幸を感じる暇はないのです。
- 自分が事故にあう姿を想像すれば、恐怖で肝が冷えるが、実際にそうなれば痛みを感じる暇もなく、目覚めればすでにベッドの上。
- 会社が倒産することを想像すれば夜も眠れないが、実際にそうなればするべきことや決断にに追われ、不幸がる暇もない。
大きな不幸であるほど、初めての出来事、予期せぬこと、急を要することが注意を奪い、思考や恐怖や不安は細切れになります。
だから、たぶん大丈夫なのです。
恐怖をつくり出すのは想像力のしわざ
アランはこうも書いています。
病気にかかった人を見たまえ。病気になることによって、自分は病気ではないかという恐怖から、いかにたちどころにいやされてしまうことか。我々の敵はいつも想像上のものなのだ。なぜなら、想像上の者にはとらえどころが何もないから。仮定のことを相手にしていったい何ができるか。
想像上の不幸は、しばしば実際の不幸を上回ります。アラン曰く、苦痛がありのままに想像されることなどありえないのです。
④ 幸福になることは義務である
最後に、少し長いですが4つ目です。このポイントは個人的にささりました。
幸福になることはまた、他人に対する義務でもあるのだ。これはあまり人の気づいていないことである。人から愛されるのは幸福な人間だけである、とはいみじくも喝破したものだ。しかし、こういう報酬は正当なものであり、受けるに値するものだということを忘れられている。
なぜなら、不幸や退屈さや絶望はわれわれみんなが吸っている空気の中にあるのだから。だからわれわれは、そういう毒気にうちかった人たち、そして素晴らしい手本を示すことによって、言わばみんなの人生を浄化してくれた人たちには感謝の念とオリンピックのメダルとをささげねばならない。
「幸せを望む」というと、利己的に聞こえるかもしれません。しかし、本当は逆です。幸せになることは他人のためにすべきことだ、とアランは言います。
なぜなら、上の文章の通り、幸福は伝播して同じく周りの人を幸福にするからです。そして同時に、幸福な人は別の幸福を人に譲ることができるからです。
したがってぼくは、自分一個の、自己の魂に親密な幸福は、決して徳と対立するものではなく、むしろ、力を意味するあの美しい徳という言葉が示しているように、そのような幸福自身が徳であると考えている。なぜなら、全き意味において最も幸福な人は、着物を投げ棄てるように、別の幸福などまったく平然と舷側の外へ投げ棄てる人であるのは自明だからだ。
あなたを愛する人は決してあなたの不幸を望まない
また、次のような文章を見つけることができました。幸福になることは、あなたの周囲にいる人への最もいい捧げ物でもあります。
愛のなかで絶対幸福になるという誓い以上に強い意味は何もないのだ。愛する人たちの退屈、悲しみ、不幸以上に乗り越えがたいものがあるだろうか。人は誰も、男も女も、幸福は、ぼくの言うのは自分のために勝ち取る幸福だが、それはもっとも美しい捧げ物であり、もっとも恵み深いものであることを、絶えず考えねばならないであろう。
アラン曰く私たちがするべきは、不幸を引き受け同情するのではなく、いつでもとにかく幸福になることです。
まとめ
この記事では、アランの「幸福論」を読んで、個人的に覚えておきたいと思った4つのことをご紹介しました。素晴らしい本なので、 興味があれば手に取られてください。
他の三大幸福論(ヒルティやラッセル)をはじめ、読んでよかったと思った本を古典を中心にご紹介させていただきます。この記事がみなさんのお役に立てれば幸いです。